2003.05.01 Thursday
気がつけば、“子供たち”は常に私の傍らにいました。
生まれる前から“子供たち”が家にいました。
“子供たち”のいない生活は、考えられない。それが自分の人生です。
今、私は1匹と1羽の“子供たち”と暮らしています。
彼らはほぼ間違いなく、私よりも先に行ってしまう存在です。
彼らが行ってしまったら、その先私はたぶん“子供たち”と暮らすことはないでしょう。
よほどのことがない限り、“子供たち”をまた家族に迎えることはないでしょう。
今 私はひとり暮らしで、健康とは言えない体を抱えてヨタヨタ生きています。
何かしら“子供たち”がいる生活を送ってきて、この先どんどん老いるだけになっているのに、新しい“子供たち”を迎えずに独りになることは、たぶんとても寂しく、耐えがたいことかもしれません。
しかし。すでに人生の半分を折り返しつつあり(もしかしたらすでに折り返しているかもしれない)、なにかの弾みでうっかり命を落とすことがあるかもしれない体を抱えて、これ以上の命に対して、私はもう責任を取れない、そんな気がしています。
このカテゴリに、たくさん記事を書いていません。
しかしこれは、私が“子供たち”と家族でいた、小さな時間を切り取った記録です。
彼らがいるから生きていこうと思う。
彼らがいるから、家に帰ろうと思う。
気がつけば、根無し草でフラフラしがちな私にとって、その気持ちを持てるということは、とても大事なことです。
あと何年、今の“子供たち”を生活していけるか、わかりません。
でも、その最後の日が来るまで。
私は気が向いたら、このカテゴリに、記録を一つ一つ、残していくことと、思います。
2014.04.07 記す。
生まれる前から“子供たち”が家にいました。
“子供たち”のいない生活は、考えられない。それが自分の人生です。
今、私は1匹と1羽の“子供たち”と暮らしています。
彼らはほぼ間違いなく、私よりも先に行ってしまう存在です。
彼らが行ってしまったら、その先私はたぶん“子供たち”と暮らすことはないでしょう。
よほどのことがない限り、“子供たち”をまた家族に迎えることはないでしょう。
今 私はひとり暮らしで、健康とは言えない体を抱えてヨタヨタ生きています。
何かしら“子供たち”がいる生活を送ってきて、この先どんどん老いるだけになっているのに、新しい“子供たち”を迎えずに独りになることは、たぶんとても寂しく、耐えがたいことかもしれません。
しかし。すでに人生の半分を折り返しつつあり(もしかしたらすでに折り返しているかもしれない)、なにかの弾みでうっかり命を落とすことがあるかもしれない体を抱えて、これ以上の命に対して、私はもう責任を取れない、そんな気がしています。
このカテゴリに、たくさん記事を書いていません。
しかしこれは、私が“子供たち”と家族でいた、小さな時間を切り取った記録です。
彼らがいるから生きていこうと思う。
彼らがいるから、家に帰ろうと思う。
気がつけば、根無し草でフラフラしがちな私にとって、その気持ちを持てるということは、とても大事なことです。
あと何年、今の“子供たち”を生活していけるか、わかりません。
でも、その最後の日が来るまで。
私は気が向いたら、このカテゴリに、記録を一つ一つ、残していくことと、思います。
2014.04.07 記す。
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