2006.01.20 Friday
昨夕、出かけるまさにその時、ワタシを実の孫のように可愛がって下さっていたおばさん(年齢から言うと”おばあさん”だ。父よりも少し年上だから)が、6日に亡くなっていたことを、母から聞いた。どうやら母も昨日になって始めて聞いたらしい。
実は次の日曜に、そのおばさんと母は、おばさんと父母が知り合うきっかけとなった団体の新年会に出席する予定だった。
…月曜に市役所からTELがあって(その団体は市役所の主催である)、新年会に出席されますか?…といった主旨のことを言われた。たぶん市役所の人は、そのおばさんが亡くなったので、母がどうするかを訊いてきたのだと、今になって思う。
もちろんワタシはおばさんが亡くなったなんて知らなかったから、「おばさんと2人で出席すると申しておりました。父が亡くなっても声を掛けていただいてありがとうございます」と言った。
…向こうからは微妙な空気が流れて、それでも『分かりました、お気をつけていらして下さい。●時から、▼▼で行いますので』と言ってTELは切れた。
ワタシが車に乗って出ようとしたその時母は帰ってきた。
車から降りてきた母が途方に暮れた顔で言った。
「Mさんが亡くなっとったてばい(Mさんが亡くなっていたそうだよ)」
一瞬時間が止まった。
「っ…いつ?」
「6日て」
2~3言、言葉を交わして、しかし急いでいたのでワタシは自分の車で出た。
最初は何が起こったのか分からなかったらしい。市内を出るあたりまで頭の中がまっ白だった。それからおばさんがワタシを呼ぶその優しい口調が何度も聞こえてきた。
…ああ、そうだ。ワタシが今大事に大事に食べているショウガ糖は、おばさんが暮れにワタシにとくれた物だ。ワタシは口が奢っているからと、ご自分が一番美味しいと思ったショウガ糖をわざわざ買って持ってきてくれたのだった。それを美味しく食べながら、今年新ショウガが出たら、おばさんにショウガ糖を作って持っていこうと、密かに考えていたことは母も知らない。
…思い出したら、涙が出て来た。
家々の事情があるということは、もう子供ではないワタシは十分理解している。しかし、亡くなってから2週間近くも知らなかった、知らされてなかったことがとても哀しい。同居していた息子さん夫婦は、母のみならずワタシも面識がある。近所の親しい友人だったはずなのに、今の今まで知らなかった…というそのことが哀しい。
それなりに親しいワタシ達でさえ知らされてなかったというなら、もしかしたら全くの身内だけでひっそりとお見送りをされたのだろうな、と勝手な憶測をしてさらに哀しい。
おばさんは元美容師さんということもあって、とてもオシャレでとても社交家だった。クモ膜下出血の後遺症で半身が不自由だったにもかかわらず、どこにでも行き―時には関西へも一人で行くような人だった―、誰とでも話し、世話好きということもあって友達が多かった。
不謹慎な話だが、そのうちこの人のお葬式に出席しなければならない日が来るのだな、と昨年別の母の友人―その人は母よりも十近く年下だった―が亡くなったときに、脈略なく思ったりした。たくさんのお友達やご家族、親族に見送られて…という形が、おばさんには似合うのだと、まったくもって勝手に思っていたのだった。
…でも、結局はお葬式には出ずじまいだ。
ワタシは車を運転している。これから人に会わねばならぬ。哀しい顔は、これから会う人には見せたくなかった。ワタシの空虚は、ワタシが勝手に抱えたモノだから。
だから泣いた。
涙が流れるままに、自然に止まるその時まで。
おばさんの思い出は、恥ずかしながら「美味しいもの」に尽きるように思う。それほどおばさんはワタシの好きなモノ、「美味しいと」笑って言ったモノを憶えていたし、知っていた。…ワタシは口が奢っているから…とは、おばさんが言った言葉だ。たしかにそう。ワタシは口が奢っている。奢っている分、たくさんはいらない。
おばさんの、ワタシへの呼びかけの声が頭の中をこだまし、そのたびに私は泣いた。
泣け、泣いてしまえ。
そしたら、今の悲しみが流れてしまうから。
人に会うのに、涙は見せられない。それは自分がイヤだ。
功を奏した。
1時間も泣いた頃、ワタシはいつものワタシに戻った。
もう泣くことはないだろう。
そのままワタシは峠を越えた。
…月曜に市役所からTELがあって(その団体は市役所の主催である)、新年会に出席されますか?…といった主旨のことを言われた。たぶん市役所の人は、そのおばさんが亡くなったので、母がどうするかを訊いてきたのだと、今になって思う。
もちろんワタシはおばさんが亡くなったなんて知らなかったから、「おばさんと2人で出席すると申しておりました。父が亡くなっても声を掛けていただいてありがとうございます」と言った。
…向こうからは微妙な空気が流れて、それでも『分かりました、お気をつけていらして下さい。●時から、▼▼で行いますので』と言ってTELは切れた。
ワタシが車に乗って出ようとしたその時母は帰ってきた。
車から降りてきた母が途方に暮れた顔で言った。
「Mさんが亡くなっとったてばい(Mさんが亡くなっていたそうだよ)」
一瞬時間が止まった。
「っ…いつ?」
「6日て」
2~3言、言葉を交わして、しかし急いでいたのでワタシは自分の車で出た。
最初は何が起こったのか分からなかったらしい。市内を出るあたりまで頭の中がまっ白だった。それからおばさんがワタシを呼ぶその優しい口調が何度も聞こえてきた。
…ああ、そうだ。ワタシが今大事に大事に食べているショウガ糖は、おばさんが暮れにワタシにとくれた物だ。ワタシは口が奢っているからと、ご自分が一番美味しいと思ったショウガ糖をわざわざ買って持ってきてくれたのだった。それを美味しく食べながら、今年新ショウガが出たら、おばさんにショウガ糖を作って持っていこうと、密かに考えていたことは母も知らない。
…思い出したら、涙が出て来た。
家々の事情があるということは、もう子供ではないワタシは十分理解している。しかし、亡くなってから2週間近くも知らなかった、知らされてなかったことがとても哀しい。同居していた息子さん夫婦は、母のみならずワタシも面識がある。近所の親しい友人だったはずなのに、今の今まで知らなかった…というそのことが哀しい。
それなりに親しいワタシ達でさえ知らされてなかったというなら、もしかしたら全くの身内だけでひっそりとお見送りをされたのだろうな、と勝手な憶測をしてさらに哀しい。
おばさんは元美容師さんということもあって、とてもオシャレでとても社交家だった。クモ膜下出血の後遺症で半身が不自由だったにもかかわらず、どこにでも行き―時には関西へも一人で行くような人だった―、誰とでも話し、世話好きということもあって友達が多かった。
不謹慎な話だが、そのうちこの人のお葬式に出席しなければならない日が来るのだな、と昨年別の母の友人―その人は母よりも十近く年下だった―が亡くなったときに、脈略なく思ったりした。たくさんのお友達やご家族、親族に見送られて…という形が、おばさんには似合うのだと、まったくもって勝手に思っていたのだった。
…でも、結局はお葬式には出ずじまいだ。
ワタシは車を運転している。これから人に会わねばならぬ。哀しい顔は、これから会う人には見せたくなかった。ワタシの空虚は、ワタシが勝手に抱えたモノだから。
だから泣いた。
涙が流れるままに、自然に止まるその時まで。
おばさんの思い出は、恥ずかしながら「美味しいもの」に尽きるように思う。それほどおばさんはワタシの好きなモノ、「美味しいと」笑って言ったモノを憶えていたし、知っていた。…ワタシは口が奢っているから…とは、おばさんが言った言葉だ。たしかにそう。ワタシは口が奢っている。奢っている分、たくさんはいらない。
おばさんの、ワタシへの呼びかけの声が頭の中をこだまし、そのたびに私は泣いた。
泣け、泣いてしまえ。
そしたら、今の悲しみが流れてしまうから。
人に会うのに、涙は見せられない。それは自分がイヤだ。
功を奏した。
1時間も泣いた頃、ワタシはいつものワタシに戻った。
もう泣くことはないだろう。
そのままワタシは峠を越えた。